静寂の中の決意
尾瀬の湿原を渡る風は静かだった。黄金色の草原が広がり、遠くには燧ヶ岳がそびえる。
スポーツグライドを停め、ヘルメットを脱ぐ。ゴールドウィングもすぐ隣にあるが、その持ち主は遠くを見つめたまま動かない。
リサ。
彼女はいつも通りのライディングジャケットを着ているが、その横顔はどこか違った。
「……ここ、いい場所だね。」
リサがぽつりと呟く。
「そうだな。」
俺は短く答える。だが、その静けさが妙に落ち着かない。
リサが出会った時も口数が少なかったが、それよりも更に口数が少ない
突然の別れの言葉
「ねえ、お兄さん。」
リサがゆっくりとこちらを向いた。
「私、もう会えなくなるんだ。」
「……どういう意味だ?」
「もう、一緒に走れないってこと。」
リサの瞳に、今にも零れ落ちそうな涙が滲んでいる。
「お前、何を言って——」
「私はね……あなたのことが大嫌い。」
リサの声が震えた。
「本当に、本当に……大嫌い。」
大粒の涙が頬を伝う。

その涙が、本当に彼女の言葉を示しているのか。
「嘘だろ。」
そう言うしかなかった。
「嘘じゃないよ。だから……もう、お別れ。」
リサは俺の背中に顔を押し付けてあの日のように抱き着く。嗚咽を含んだ息遣いがヘルメット越しにも伝わる。
リサはさっと離れてゴールドウィングに跨った。
「……待て、リサ。」
「じゃあね。」
エンジンがかかる。
低く、重く、だがどこか切ない音だった。
次第に日が暮れてあたりが闇に包まれた。天が泣いているのだろうか、雨も降り始めた。

別れの呼び声
「——横須賀に来て。」
それは、ゴールドウィングが発した言葉だった。
スポーツグライドのエンジンが一瞬、反応するように震えた。
「——!」
声にならない声をスポーツグライドが上げる
だが、彼女はもう振り返らなかった。

彼女のゴールドウィングは道の駅を通り過ぎ向こうへと消えていく。
俺はただ、尾瀬の風に吹かれながら、その後ろ姿を見送ることしかできなかった。
「……本当に、大嫌いだったのか?」
誰に問うわけでもなく、ただ呟いた。
スポーツグライドのエンジンが、ゆっくりとその問いに答えるように鼓動する。
「……行こう、横須賀へ。」
「横須賀…?」
「あいつがそう言っていた」
スポーツグライドに導かれるままに俺はアクセルをひねった。
尾瀬の風が背中を押した気がした。